ポイントがつくから断然お得!家電買うなら楽天市場
×[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「不条理演劇の最高傑作として名高い」(裏表紙の紹介)ベケットの戯曲というので、不条理小説とは近しい探偵小説の味わいはあるのか、読んでみた。
ある日の夕暮れ、一本の木が立っている田舎道である。二人の浮浪者が、ゴドーという人が来るのを待っている。その間に、二人でしゃべったり動き回ったりしている。そこに、主人と奴隷の二人組がやってきてドタバタを演じて去っていく。やがて、男の子がやってきて、「今晩は来られないけれど、あしたは必ず行くとゴトーが言っていた」と告げる。次の日、同じようなことが繰り返されて、幕が下りる。
二人の浮浪者が待ちぼうけを食わせられるという芝居のアイデアはおもしろいが、戯曲を読んだ限りでは冗漫で退屈である。金を払って本を買ったり芝居を見たりした人は、不条理を感じたのではないか。買ってきた長篇の推理小説を、最後のどんでん返しを期待して我慢して読んだのに、ありきたりで凡庸な結末だったのに似ている。読者や観客は途方に暮れ、二人の浮浪者と同じような気持ちになる‥‥そこの仕掛けがうまい。
[1回]
PR
「伏線がいたるところに張りめぐらされた探偵小説として」(訳者あとがき)読めるかもしれないというので、この「中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説」(カバー紹介文)を新訳(訳者:若島正、新潮文庫)で読んでみた。
小説は犯罪者ハンバートが殺人にいたる経緯を告白した手記という形で物語られる。主人公のハンバートは、実らずに終わった初恋の少女アナベルをほうふつとさせる下宿屋の少女ドロレスと出会う。ドロレスに近づくために彼女の母親と結婚するが、都合よく母親は交通事故で死んでしまう。義理の父親となったハンバートは、ドロレスを禁じられた愛人にして、アメリカの各地を旅行してあるく。旅の途中、後を追い掛け回す不審な車があり、ドロレスは姿を消してしまう。二年後、突然ドロレスからお金を無心する手紙が来る。復讐に燃えたハンバートは、シーラ夫人となった身重のドロレスに再会し、かって彼女を連れ去った男を知る。そしてその男の居所を突き止め、何度も銃弾を浴びせて射殺する。
この作品を探偵小説として読んだら多分失望するだろう、この小説をポルノ小説として読んだらおそらく失望するように。(途中で投げ出さないで最後まで読んだらすごい。「白鯨」を読んだ時と同じような達成感が味わえる。)作者本人が後書きで述べているように、「ロリータ」は作者と英語という言語との情事の記録であるのだろう。この小説におけるいろいろな言語遊戯の仕方が楽しめるかどうかで評価が分かれるようだ。
[1回]
作者の二つの分身、主人公「僕」とその友人の「鼠」。「僕」は羊を探し歩き、羊の居場所を知っている「鼠」を北海道の別荘で見つける。そして、羊を飲み込んだまま自死したことを本人の口から聞き出す。彼は羊の支配する権力を拒否し、自分の弱さ優しさに殉じて滅びることに救いを見出したという。羊を見つける冒険は、失踪した「鼠」の死を受け止める旅であり、「鼠」につながる青春に別れを告げる儀式でもあったのだ。
「僕」は青春を通り過ぎる中でいろいろな人に出会い、いろいろな人を失ってきた。後悔や悲哀、喪失や虚無を感じながらも、分身の「鼠」を心を込めて葬り去り、その青春に別れを告げることにより、新しい出発を予感するのだった。
人は生きていくうえでいろいろなものを獲得していくとともに、いろいろなものを喪失していく。特に青春期においては、友人や恋人であったり優しさや純粋であったり家庭や仕事であったり野望や革命であったり‥‥これら青春を彩りあるいはたぶらかす幻想は、やがて青春とともに変化し喪失していく運命にある。青春と決別し喪失を心の底で受け止めることが、新しい出発を生み出す。この作品は、普遍的な主題を羊をめぐる冒険としてセンチメンタルにシュールに描きあげた青春卒業小説である。
[2回]
お探し物がありましたら、こちらからどうぞ