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次郎物語  下村湖人作

 少年の成長物語といえばこれ。主人公の次郎は、いろいろな体験を重ねながら少しずつ成長していく。
 悪く言えば、ひねくれた、負けずぎらいで、乱暴なところのある次郎は、無教養な乳母お浜の手放しの愛情、教育熱心な母親お民とのしっくりしない愛情、祖母の兄弟における次郎への差別、父親の教育に対する理想主義的な態度などなど家族の中で、学校や近所の子どもたちのかかわりの中で、学び成長する。そして、何といっても次郎を一番成長させるのは、やはり母親との死別という体験である。
 母親お民は病床で次郎とお浜に向かって「この子にいやな思いばかりさせて」「あたし、このごろ、いつもこの子に心の中であやまっているのよ」「この子もどうやらあたしの気持ちがわかっているようだわ」と言って安心し、やがて不帰の人となる。次郎にとって幸せだったのは、母親と心を通わせることができ、母親の「澄みとおった愛」を感じることができたことであった。
 第一部の最後にあらわれたこの場面からさかのぼって考えると、作者は、子どもの人間的な成長には、乳母お浜のような「芳醇な」愛情と母親お民のような教育的な理想との二つが必要であるが、まず第一に大切なのは前者である言いたいのである。お民が最期に言った言葉は「子供って、ただかわいがってやりさえすればいいのね。」だった。この平凡にも見える隠された主題は、次郎の成長する姿をたどると説得的である。

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銀の匙  中勘助作

繊細で幼い心がつむぎだす感情をこれほど自然に描き出すのは、作者が子どもの心に寄り添いながら、大人の目で情況をとらえているところにある。
 隣のお恵ちゃんとの思い出はいろいろな遊びの様子や二人のやりとり、その時の気持ちなど、目に見えるよう耳に聞こえるようで、生き生きと描かれている。圧巻は、引越しして遠くへ行ってしまうお恵ちゃんとの別れの場面で、好きな女の子に対する「やるせなく」「情けない」子ども心を鮮やかに描写している。あいさつに来たお恵ちゃんに対して、「急にわけのわからない恥ずかしさがこみあげてうじうじと襖のかげにかくれていた。」お恵ちゃんが行ってしまうと私は「ひとり机のまえにすわってなぜあわなかったろう、とかいのない涙にくれて」しまうのである。
 九歳のころまでの前篇に対して、十七歳のころまでの後篇は、終わりのほうで、京都から来た美しい「姉様」という女性が登場する。短い間ではあるが、「私」とのちょっとしたふれあいがあり、やがて京都へ帰っていく別れの場面になる。姉様に「さようならごきげんよう」と声をかけられたのに、「なぜか私は聞こえないふりをしていた。」そして姉様が行ってしまうと「どうしてひと言あいさつしなかったのだろう」と涙を流すのだった。
 前篇における少年の微妙な心に対して、後篇における青年の感情の幼稚さは、やや興ざめがしてしまうのが残念である。

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野菊の墓  伊藤左千夫作

  はかない恋といえば、きわめつけの小説はこれ。若いころ読んだ時は、物語られた正夫と民子の心情をあわれに思いせつなく感じるとともに、歌い上げるような自己陶酔的な語り口に辟易した。しかし、老い先短くなってきたころに読み返すと、若い人の幼い恋を清らかに歌い上げているところがすがすがしいと思えるようになってきた。
 ヘミングウェイの「老人と海」にも同じような感慨をもつようになった。作者は、老人の心に感情移入し、感傷的な叙述に終始する。この叙事詩ともいえる作品を読んで、老人の負けじ魂に心を打たれるとともに、自己陶酔的な心情の吐露に恥ずかしさも感じた。しかし、老人の年にだんだん近づいていくと、まっすぐに老人の不屈の精神を歌い上げているのが、かえって素朴で力強く、好ましく思えるようになってきた。
   歌人や詩人の自己陶酔の心が作品にまっすぐな力強さを与えている。

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