丸谷才一によれば、長篇小説の三大要素はストーリイ、人物像、文章である。この三つがよく練られた小説はそれほど多くはない。その数少ない中の一つがこれである。
主人公は1920年代のアメリカに生きる、しがない探偵である。「デブで、中年で、情けしらずの頑固者」である。探偵社に雇われた調査員として、虎穴に入らずんば虎児を得ず式に、どんどん現場に飛び込んでいく。
ストーリーは変化に富んでいて目まぐるしく進んでいく。彼は調査を進め、状況を動かし、犯行を明らかにし、身の証を立てる。最後までハラハラ、ドキドキの連続である。
文章は、小鷹信光の訳で読むと、テンポよくきびきびとしている。要点を押さえて無駄がない。行動や会話がストーリーを動かし、人物像を浮かび上がらせる。こんなふうである。こんな書き方をどれほどたくさんのアクション派の探偵小説作家が学び真似たことか。
(例文1)
「車の中の男がホイスパーだ」ビル・クイントがいった。
肉のたっぷりついた男の肩越しに、セイラーの横顔に目をやった。色の浅黒い、小柄な若い男で、鋳型で打ちぬかれたような整った顔立ちをしていた。
「かわいい坊やだ」私はいった。
「まあな」灰色っぽい男も認めた。「おまけに、ダイナマイトのように危険だ」
(例文2)
通りの向こうで、軒下から踏みだした大男のニックが両手に銃をかまえ、撃ってきた。
私は拳銃をもった腕を床に据えた。ニックの体が照星と重なった。引金を引いた。ニックは打つのをやめた。彼は二挺の銃を胸の前で交差させ、どさっと歩道に倒れた。
[1回]
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サマセット・モームの作品の中では、「人間の絆」とともに有名な作品はこれ。
「人間の絆」の主人公フィリップは、どちらかといえば平凡な人間であるが、「月と六ペンス」の主人公は非凡な人物である。画家のゴーギャンを素材にしてストリックランドという芸術家を創造している。芸術に囚われた人間がその運命に身を任せたとき、どのような人生をたどるのか。
モームの芸術や芸術家に対する崇拝の念がうかがえる。
[3回]
この小説の終わりも見てみよう。主人公は健康的で母性的な女性サリーを好きになる。恋をしているのではなく結婚を考えているわけでもないが、サリーの妊娠をきっかけに結婚を決意する。プロポーズをしようとしていた待ち合わせで、妊娠が誤解だったことが分かる。そこで、もう一度結婚を決意した真意を振り返る。すると、自分の本当に望んでいたものは、恋愛や冒険、世界旅行などではなく、妻や子供に囲まれた家庭であり、幸せな暮らしであることを悟る。フィリップは「僕と結婚してくれないか」と申し込み、サリーは「あなたさえよければ」と答える。ミルドレッドとの不幸な恋愛関係を乗り越えて、家庭的なサリーとの結婚を決意するところで終わる。
作者は、どちらかと言えば苦しみや悲しみ、悩みの多かったこの長い物語をハッピーエンドにし、後味よく終わらせたかったのである。
最後の場面の文章を書き出してみよう。
「ぼく、とても幸せだ」
「あたしはお昼が食べたいわ」
「おや、おや!」
彼はにっこりして彼女の手を取ってしっかりにぎった。二人は立ち上がり、国立美術館を出た。階段を下りる途中、欄干の所で立ち止まり、トラファルガー・スクエアを眺めた。馬車や乗合馬車がせわしなく行きかい、群集が、思い思いの方向に向かって急ぎ足で歩いていた。空には太陽がさんさんと輝いていた。(行方昭夫訳:岩波文庫)
通俗や平凡を厭わないモームの軽妙な語り口に酔い,すっかり魅せられてしまうのである。
[3回]