中世の修道院で起こる連続殺人事件という推理物語の中に、もう一つの歴史物語がはめ込まれている。それはキリスト教における正統と異端をめぐる争いである。
物語の舞台は1327年の北イタリア山中の修道院。物語の背景には教皇と皇帝の権益をめぐる対立、またキリスト教会内部での主流派とフランチェスコ会の対立があった。フランチェスコ教会は厳格主義(キリストの清貧)を認め、皇帝はフランチェスコ会を支持したが、教皇の主流派はこれを異端として断罪した。主流派とフランチェスコ会が和解するように、両者の使節団による会談がこの修道院で開かれることになり、皇帝の特使としてウイリアム修道士が派遣されたのだった。
この会談に先立って、ドルチーノ修道士が率いる武装集団の反乱があった。彼らは「争いがあればどこへでも入りこみ、清貧という名目のもとに他人の財産を襲うための説教の口実を引き出した。」そして最後には捉えられて残虐に処刑されたという事件である。このドルチーノの仲間に加わっていてやがてその集団から離れていった分子が、この修道院に紛れ込んでいる。
使節団の両者による会談が何とか和解が成立しそうになったところに、殺人事件の容疑者が捕まる。そこで容疑者に対する異端審問が開かれる。そして、容疑者はドルチーノ派の異端分子であることが発覚する。そのために会談が決裂し失敗に終わってしまう。
ドルチーノ派に関わる物語について、純粋であるから異端になり、性急になり、恐怖をよびおこすものに対して、師ウイリアムは弟子アドソに諭す。「恐れたほうがよいぞ、アドソよ、預言者たちや真実のために死のうとする者たちを。なぜなら彼らこそは、往々にして、多くの人びとを自分の死の道連れにし、ときには自分たちよりも先に死なせ、場合によっては自分たちの身代りにして、破滅に至らしめるからだ。」もちろんこれは昔に限ったことではない。テロリストをヒーローとみる勢力のいる現代世界に生きる私たちへの作者のメッセージである。
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中世の北イタリア、山中にある修道院で起きた連続殺人事件を、修道士ウイリアムと見習い修道士アドソの師弟コンビが謎の解明に挑む推理小説はこれ。
若い修道僧が文書館の窓から落ちて死ぬという事件が起きる。重要な会談の特使として派遣されてその修道院にやってきたウイリアムに、修道院長は捜査を依頼する。次に、古典翻訳の僧が豚の血をためていたかめに逆さに突っ込まれているのが見つかる。さらに、文書館長補佐が浴槽で溺死しているのが発見される。どうやらヨハネ黙示録にのっとって殺人が続いているらしい。またもや薬草研究の学僧が惨殺されるに及んで‥‥
この事件の背後には幾つかの原因と謎が絡まりあっているようなのだ。探偵役のウイリアムは助手のアドソに、時には考えるヒントを与え時には丁寧に説明して「殺人犯が残していった漠とした記号から出発して、唯一の固体へ、すなわち殺人犯そのものへと到達してみたいのだ」と語る。黙示録による連続殺人の謎、秘密の部屋に入るための暗号の謎、黒ずんだ指とギリシャ語の謎など、ミステリによくある型どおりの仕掛けがある。子供だましの謎が効果的に使われていて、種明かしが楽しい。
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少なくとも10回はプッと吹き出しニヤリと笑ってしまう、盗みの天才ドートマンダーと仲間たちの活躍を描く、コミカルな犯罪小説はこれ。
初めの仕事は、ニューヨーク・コロシアムに展示されている五十万ドルのエメラルドを盗み出すことだった。ドートマンダーと相棒のケルプは、運転手や錠前破り、何でも屋を集め、周到な計画を立て、実行に移す。仲間のグリーンウッドはうまく宝石を盗み出すが、逃げる途中で警備員に前後から挟まれる。絶体絶命のグリーンウッドは思い余って宝石を飲み込んでしまう。彼らの次の仕事は、囚われの身となったグリ-ンウッドを拘置所から助け出すことだった‥‥
盗みの仕事の困難なレベルがだんだん上がっていくにともなって、ドートマンダーの作戦もさらにレベルアップしていくところが見所である。最後には見事な仕返しで締めくくる。スターク名義の「悪党パカー」ものではたくさんの人が死ぬが、この小説では一人も死なない話にしているのがうまい。ロバート・レッドフォード主演の映画もおもしろかった。
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