推理小説は犯罪の謎が最後に論理的・合理的に解決されることが期待されているが、偶然が事件の謎を解き明かすという小説はこれ。
チューリッヒ州警察の元機動隊隊長のドクトル・Hは、推理小説作家の「私」に以下のように説く。「推理小説は、現実と取り組もうとせずに、論理的に完全性のある虚偽の世界、まやかしのある美しいおとぎ話をつくりあげている。現実の事件の解決は偶然なもの、予想できぬもの、割り切れないものの役割が大きい。犯罪の解明の多くは偶然にゆだねられている。」
そして、以下のような話を物語る。「チューリッヒ近郊の寒村で、何者かが少女を剃刀で惨殺するという事件が起きる。死体の発見者である行商人が容疑者として尋問される。厳しい尋問の末、行商人は自白するが、その後で自殺してしまう。この事件に関わったドクトル・Hの部下マーティ警部は、殺された少女の親との約束を果たすべく、警察を辞めて真犯人を捜し始める。そして犯人に餌をまき罠を仕掛けて待つ。はたして犯人は罠にかかるのか。‥‥」
結末のところでは、ドクトル・Hは「この話にはまだオチがあるんです」「それは滑稽で間が抜けていて陳腐です」と明かす。マーティ元警部にとってあまりに不条理なそのオチに、「私」とともに読者は、口をあんぐり開けて目を点にしてしまうのである。
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