作者は作品の中で「僕は生まれながらの傍観者である」と語る。子供の時から大人まで「僕は人生の活劇の舞台にいたことはあっても、役らしい役をしたことがない。」いつも端役にいると述べる。
作者の年譜を見ると、明治維新の激動の時代にあって、子供のころから勉強に励む秀才で、立身出世を望む家族の期待を一身に受けていたように思われる。作者はその期待に応えて、東京大学医学部を卒業して陸軍に入り、紆余曲折はあったものの、45歳で陸軍軍医総監に上り詰める。また、文学の面でも、小説、詩歌、戯曲、評論、翻訳などの多方面での活躍が輝かしい。それなのになぜ「傍観者」なのか。
傍観者意識の生まれた要件を推し量ってみると、森家の長男として立身出世のために勉学に明け暮れた少年から青年の時代があげられる。それから、飾磨屋と同じように「無形の創痍を受けてそれが癒えずにいること」が考えられる。たとえば、二十代のドイツ留学によって目覚めた自我における日本と西洋の対立、ドイツ女性エリーゼとの恋愛や登志子との結婚の挫折、小倉への左遷の衝撃、脚気問題への対応の失敗、発禁問題や大逆事件をめぐる当時の情況、革新明治で飾った表層に対する深層に保守した江戸精神の逆襲など。しかし、19世紀後半世界の中で近代化を図らねばならない日本、激動する時代の中で知識のある一人の人間としてどのように生きられるのか。
話の途中で作者の傍観者を考察する語り口は深刻で暗いように見えるが、最後のオチで「なんちゃって」とひっくり返しにやりと笑う。作者の傍観者という自己認識は、自己批判的であるとともに、諦念に装われた自己弁護であり、自信を秘めた自己肯定でもあったのである。
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