謎をかけてシニカルな笑いで落とした、奇妙な味わいのある短篇小説はこれ。
「僕」は、下町の若旦那の「蔀君」から誘われて、今紀文(一世で富豪となった者)の「飾磨屋さん」が行う百物語の催しに出かけていった。集合場所の船宿に集まった人たちも、到着した会場の古家に詰めかけた客たちも、みんなしらじらしく、一向に盛り上がらない。「僕」の好奇心は、百物語の催しから主催者の飾磨屋本人に移っていく。それとなく観察すると、彼は躁狂の人ではなくて沈鬱の人であるのに「僕」は驚く。そして、その後ろに座っている、美しい芸者の「太郎」に関心が及ぶ。彼女への第一印象は、病人に付き添う看護婦のようである。さらに、飾磨屋は「無形の創痍を受けてそれが癒えずにいるために傍観者になった」のではないかと推理する。飾磨屋を見ているうちに「僕」は他郷で昔なじみに出会ったような気がしてきた。実は、「僕」も傍観者であり‥‥
鷗外は明治現代の短篇小説をたくさん書いた。一つ一つ実験的に試行的に取り組んだ。これらの土台になっているのが、ドイツ語を通して行った同時代の西洋文学の翻訳作業である。鴎外の明治現代短篇小説の中では、私はこの作品を一番に推す。作者が突然「自分は傍観者だ」と告白するのがなんとも奇妙であり、不気味であるからである。
[2回]
PR
お探し物がありましたら、こちらからどうぞ