この作品を読む楽しみは、抽斎や五百の人物像、彼らの人間関係やその歴史にある。そしてそれ以上に、簡潔でリズムのある文体の魅力にある。
たとえば抽斎の死の記述。「二十八日の夜丑の刻に、抽斎はついに絶息した。すなわち二十九日午前二時である。年は五十四歳であった。遺骸は谷中感応寺に葬られた。」
たとえば成善の誕生の記述。「安政四年には抽斎の七男成善が二十六日をもって生まれた。小字は三吉、通称は道陸である。すなわちいまの保さんで、父は五十三歳、母は四十二歳のときの子である。」
たとえば抽斎の四女陸の人物評。「陸は生得おとなしい子で、泣かず怒らず、饒舌することもなかった。しかし言動が快活なので、剽軽(ひょうきん)者として家人にも他人にも喜ばれたそうである。その人と成ったのちに、志操堅固で、義務心に富んでいることは、長唄の師匠として経歴に徴して知ることが出来る。」
余計なものを省いた必要にして十分な文章、そして自由自在な表現に読み惚れてしまうのである。
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