(※犯人を明かしますので未読の方は読まないでください。)
この作品の大きなテーマは、「学術のため人類文化のためとかいう名の下に敢然として(行ってきた)非人道的な研究」に対する告発である。
九州帝国大学教授の正木博士は、狂人解放の基礎理論となる「心理遺伝」の研究のためとはいえ、呉一郎の母親であり元愛人でもある呉千代子を殺し、絵巻物を見せて一郎を狂人にして許婚を殺さしめ、さらに彼をして患者五人の殺傷事件を引き起こさせたのである。結局、正木博士は、自責の念に駆られ、一郎が我が子であると知り、それを契機に自殺してしまう。
これに対し、研究の怨敵となっている若林博士は、「精神科学応用の犯罪」の研究のためとはいえ、一郎の母親殺しを夢中遊行症として犯人(正木博士)を隠し、許婚のモヨ子を秘かに監禁し、一郎の治療に当たるのである。
研究者や科学者(そして権力者)は、学術研究(そして大儀)のためなら、罪を犯し個人を犠牲にしても許されるというのか。物語の最後のほうで「私」は叫ぶ。「先生方が、その学術研究のオモチャにしておしまいになった呉家の人たちはドウなるのですか。‥‥(省略)ただ、学術の研究さえできれば、ほかのことはドウなってもかまわないとおっしゃるのですか。」 しかし、この非力な告発はむなしく迷宮の中に閉じ込められてしまう。
「探偵小説は、良心の戦慄を味わう小説である」とする作者の虚無は深く、救いがないのである。あるいは、世界が破滅に向かって進んでいく時代は、想像豊かな久作を虚無の迷宮に閉じ込めてしまった、と言い換えてもよい。
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