ハードボイルド・ミステリにおいて、ダシール・ハメットと並んで人気をほこるのはレイモンド・チャンドラーである。チャンドラーの小説の魅力は何かといったら、まず挙げなければならないのは、フィリップ・マーロウという探偵像である。主人公は、1930年代~50年代のロスアンゼルスの街で働き生きていく中年の私立探偵である。彼は何とか探偵家業を営めるほど有能であるが、どちらかといえば生活は貧しい。しかし誇り高くロマンチックで正義感が強い男である。
次に挙げなくてならないのは、主人公が心の中でつぶやいたり会話の中で口から飛び出したりする洒落た科白やウイットに富んだ言葉である。
(引用文)
「この八年間、俺はどこにいたと思う?」
「蝶々をつかまえていたのかね?」
彼はバナナのような人さし指で胸をたたいた。「監獄だよ。俺はマロイてんだ。」 (清水俊二訳)
第三に、ストーリイの展開である。謎解きは二の次、話は現実的な探偵調査の過程を中心に進む。ジグザグに複雑な様相を呈しながら、全体的なストーリーの構造はなかなか見えてこない。そして、最後にやっと現れた真相とそれにまつわる物語である。本書の場合は、犯罪をものともしない大鹿マロイと、秘められた過去のある悪女ヴェルマとが出会うとき、一途な思いの悲しい物語が浮かび上がる。作者は、このヴェルマに対する主人公の感傷的な追悼でこの物語を結ぶ。この余韻は忘れがたい印象を残す。
老年になって再読してみると、ロマンチックな物語にリアリテイをもたせる作家のなみなみならぬ工夫と手法に感心したが、若いころにおいしく酔いしれたチャンドラー流の名科白や気取った表現は、二度目になると、二日酔いの気分に襲われ、やや鼻白む思いがしたのは少し残念である。
[3回]
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